みかん時々坊っちゃん

書評、時事ネタを主に書いていきます。

私が猫をほしくなった理由(後)

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前回記事では、「私が猫をほしくなった理由(前) - みかん時々坊っちゃん」と題して、28歳になるまでの私と猫の接点について主に記述した。本記事では、なぜ人が猫をほしくなるのか? そして、なぜ私が猫をほしがるのかを記述していく。

人が猫をほしがる理由

人はなぜ猫をほしがるのだろうか? 一般的に言って猫は「気まぐれだ」とか「わがままだ」とか言われている。この形容を聞いただけで、「じゃあ猫でなくて犬でいいや」と皆思いそうなものである。しかし、犬派によって犬は熱狂的に愛されているように、猫は、猫派によって溺愛されている。これはなぜなのだろうか? そんな根本的な問いに答えていきたい。

猫は、「気まぐれだ」とか「わがまま」だと聞いたことはあるが、飼ったことも調べたこともないので実際はどうだか分からない。そこで、まず、調査した結果を下記に羅列する。

  • 干渉される事が嫌い
  • 集団行動はどちらかと言うと苦手
  • 自由奔放
  • 愛想がない
  • 甘え上手(自分の欲望を欲するときには甘え上手になる)

次に、上記に羅列した猫の特徴を犬派になった気持ちで批判していく。

  • 面倒くさい
  • 好きで買ったので多少干渉したいのがだ、そんなにあからさまに嫌うなんて・・・
  • 芸を仕込みたいのに・・・
  • しっぽを振って愛想よくすり寄ってきてほしい
  • 自分本位すぎるな

最後に、猫派になった気持ちで犬派からの批判を論駁していく。

  • 猫ちゃんは、空気のような存在であり水のような存在だ。つまり、猫ちゃんの慈悲にすがって人間は生きているのであって、我々がどうこうするとかそんな存在ではない
  • 必要最低限のこと(トイレの場所は覚える)はこなす。猫ちゃんのその自由奔放さがよいのだから、必要以上に拘束することは避けるべきだ
  • 人間でないのだから猫ちゃんに愛想はいらない
  • 利己的であってもよい。たまに見せるそのしぐさが素敵なのさ

私が猫をほしがる理由

私はなぜ猫をほしがるのだろうか?

私が猫をほしくなった理由(前) - みかん時々坊っちゃん」で記述したように、猫との出会いと別れ・青島を知る・某著述家の猫溺愛発言などがあり、心理に猫が住み着いたことも猫を私がほしがる一因となっているといえる。

それとは別に、「自由奔放さ」へのあこがれも猫をほしがる原因のひとつになっていると思う。

高校時代に、あこがれている人物が私にはいた。彼はそう「自由奔放さ」を持っていた。何かは分からないが、彼は、自分の行動を決める原理のようなものを持ち合わせていて、それにしたがって行動していた。他人の意見に影響されて私は行動してしまっていたのだが、彼はそうではなかった。当時の私には持ち得ていないものを彼は持っていた。ないものを持ち合わせていた彼に私はあこがれていたのだ。

今もその「自由奔放さ」へのあこがれは多少なりとも残っている。そして、そのあこがれを猫にだぶらしている。だからこそ、猫がほしいと、より能動的に思うのだろう。また、あこがれの人物は高校を卒業して以来、音信不通であり、どこで何をしているのかは分からない。「自由奔放さ」を発揮して、自由に世を泳いでいる彼を見られない。その分を少しでも猫で補完したいと感じているのかもしれない。